センター通信
産業保健相談員レター 2024年1月 ~化学物質の自律的管理に関して -産業医の立場から考える現状と課題- ~
2024.01.04
産業保健相談員(産業医学担当)
(三菱ケミカル株式会社人事本部全社統括産業医)真鍋 憲幸
化学物質による労働災害を防止するための労働安全衛生規則等が改正され、自律的な化学物質管理が求められはじめた。国は、原則として物質ごとの個別規制ではなく、危険性・有害性に関する情報伝達の仕組みを拡充しつつ、目的達成のための条件を提示し、事業者は、その情報に基づきリスクアセスメント(以下、RA)を行い、ばく露防止のために講ずべき措置を自らが選択して実行するという構造が自律的管理の概要である。ただし、実際にどう運用するかは非常に難しい。企業はタイムラインを決めて取り組んでいるが、明確な方法論に落とし込めている事業者は少ないと感じている。その理由として、どのように「潜在的な」リスクの見積もりを現場で客観性を持って行うか、また、事業者・労働者・化学物質管理担当者・専門職のあいだでどのようなコミュニケーションを経て合意をするかなどの方法を図り兼ねていることが考えられる。加えて、中小企業においては、特に対応初期に大きな負荷がかかることが予想される。そのための補助を行政や学術団体などがどこまで支援するかなどの目安も議論の途上であろう。すなわち、ガイドラインなどを作りすぎれば、自律的管理の目的そのものが薄れ、個別法と今回の法改正への対応との両方でより複雑で効率的ではない仕組みのみが残る可能性がある。その線引きが難しいのだと思う。
さて、今回は特に、RAの結果の対応(リスク低減措置)としての、「最小限度」について考えてみたい。法では、「代替物等の使用、発散源の密閉、局所または全体排気装置の稼働、作業方法の改善、有効な呼吸用保護具の使用などにより最小限度とすること」と明文化されている。この際、がん原性物質などの濃度基準値はないものにおいて、何をもって最小限度とみなすのかの「定義と手続き」を、企業ごとに明確に労働者に示しておくことが重要であると考えられる。特に発がん性物質などは、量―反応関係において「安全保障上の曝露限界」としての「閾値」設定を行うことができないため、最小限度の正解がない。この正解がないという点は、職域において問題解決を要する他の事象、例えばメンタル不調者の職場復帰支援であったり、両立支援であったりするものと同じであり、企業ごとにキチンとポリシーを作り、ルールを明確にしておくことが求められるのだと思う。脈絡を重視し、手続き的に明確で公平性があり、プロセスの中で専門家が関与することが重要であろう。筆者が関係する企業においては、「量・影響関係」の影響が「発がん」とは違うけれども、他の影響に関し定められた“基準値(例えばACGIHのTLV等)”を参考にし、数値上、一定程度の安全範囲を確保したうえで、当該物質の実測データまたは数理モデルを用いた推定値が、その“基準値”以下とすることを、「最小限化」と位置付ける方向で検討している。
また、「急性健康影響」のモニタリングとしては、いわゆる第3項健診はおそらくどのような項目設定をしても、十分な機能を果たしにくいだろう。そもそも第3項健診は、「急性健康影響のモニタリング」としての位置付けではなく、「ばく露低減措置の一環」であると謳われているわけであり、すなわち、「症状を捉える」健診ではなく、「ばく露を捉える健診」と捉えるとわかりやすいのではないかと思う。安全配慮義務の観点において、第3項健診は、企業が科学的・倫理的に検討をしたうえで独自に設定する「最小限化」から外れた作業に関して、より詳しく労働者のばく露状況のチェックを行う事、具体的には、事業者や化学物質管理者などが比較的機械的に(一律に)把握している作業ごとのばく露状況ではなく、労働者個人のばく露の自覚・認識を言語化し、保存することをベースにしてはどうだろうか。なお、当然ながら何らかの症状が出ている場合や、著しいばく露があった場合は、根拠法文を含めて別の位置づけで対応できるはずである。また、第3項健診の「事後措置」とは、事業主が把握しているばく露状況と労働者個々人が認識しているばく露にギャップがあれば、その原因を探り、ギャップを解消することに注力してはどうだろうか。まさにリスクコミュニケーションそのものではあるが、現下ではこの考え方が筆者には最もしっくり来ている。なお、上記は私見であることを付記させて頂く。