独立行政法人 労働者健康安全機構広島産業保健
総合支援センター


センター通信

産業保健相談員レター 2025年1月 ~「人と生活、そして生活の中の仕事」~

2025.01.15

 産業保健相談員(両立支援担当)大塚 文

 Aさんは先生として子どもたちに絶大な人気のあった方だ。50代で脳卒中を発症し片麻痺が残り、上肢は廃用手、歩行には杖と装具が必要だった。責任ある立場であり自分でも復職検討には戸惑いもあったようだが、復職できるものならしたいという気持ちを医師に相談し、医療ソーシャルワーカーの私が担当することになった。
 退院後暫くして一人でJRを利用し通院できるようになった。学校との話し合いも頻回に行いリハビリ出勤も許された。Aさんと家族の努力は大変なもので、もう一度子どもたちのために働きたいという熱い思いがAさんを支えていた。しかし様々な検討ののち、最終的には「子どもたちが危険に晒されたときに対処できない」という理由に対し、それを受け入れることが重要なのだと理解して、Aさんは退職を決めた。
 家族も私もAさんの心中を慮り仕事の話は封印していた。しかしAさんの行動は早かった。「就労継続支援事業所で働いてみようと思います。福祉事務所に相談に行ってきました」と報告してくれたのだ。一緒に外来に来ていた家族は「私や大塚さんよりタフみたいです」と話し、3人で大笑いしたことを今も思い出す。
 それから暫くAさんはその事業所に通った。お菓子を作って売る工程で、個包装や箱詰めを担当した。利き手に障害がある状況での作業は上手くいかないことも多かったが、「働くことはいいなあ」「若手が助けてくれるのは嬉しい」などとよく話してくれた。家族もアルバイトを見つけ働き始めた。経済的には以前に比べてかなり苦しかったようだが、Aさんと家族は支え合った。
 私が両立支援や就労支援で意識していることは、「仕事」だけを切り取って支援できるものではないということだ。その人と生活を見る、そして生活の中にある仕事を見ることが重要であるし、また仕事は「役割」や「やり甲斐」などと言い換えられるのかもしれない。「仕事」という一般的なイメージに縛られなくてよいこと、復職検討のプロセスを丁寧に歩んだからこそ退職を受け入れられたのだとも、Aさんは私に教えてくれた。
 その後、介助がかなり必要な状態になり、家族も介護しながら働くことは大変だったが、Aさんや家族は、「仕事を失ったときのことを思えば、何とかアイディアも出てくるでしょう」と穏やかだった。そして、「大塚さん、また私たちと揺れてくださいよ、悩んでくださいよ」とも言っていた。そう、ソーシャルワークとは、クライエントが直面している問題や課題に翻弄されつつ一緒に揺れること、悩むことだと学んだのも、Aさんからだったかもしれない。Aさんは私にとって、今も忘れられないクライエントの1人である。
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